時間は貴重だから退屈な時間はとても贅沢。
いつも笑っている。
俺が見ている君は、いつも。
なにがそんなに楽しいのか。
いろいろ想像してみる。
なにがそんなに楽しかったっけ。
いろいろ思い出してみる。
なにがそんなに楽しかったのだろう。
なにが本当で、なにが嘘で、どこで線引きをしていたのだろう。
止まったままの君を見て思う。
写真に写る君を見て思う。
君は今どこにいるのだろう。
写真の君のあとを、俺は知らない。
あれから俺はなにも変わっていない。
君がいなくなったこと以外、なにも。
俺の目の前にいる君は止まっている。
でも、お互い、時は動いている。
止まっているように思うのは、ただの錯覚。
そう。俺の錯覚なんだ。
君は今なにをしているのだろう。
考えれば考えるほど、頭に思い描くのはあのころの君。
あれから俺はなにも変わっていない。
君がいなくなったこと以外、なにも。
時は止まったままなんかじゃない。
そう思うのは、ただの錯覚なんだ。
そう。俺の錯覚。
今の君があのころのままであってほしいという、俺の願望。
錯覚と願望は同意義なのかもしれない。
君は今誰といるのだろう。
俺はあのころとなにも変わっていない。
君がいなくなったこと以外、なにも。
君は、この写真のように笑っているのかい?
写真よりも笑っているのかい?
これは、そうあってほしいという、俺の願望。
俺は君のおかげで今も笑っていられるから。
なにも変わっていなくても、時が止まったように思えても、俺はあのころのように笑っていられるから。
君は誰といても、笑っていられるでしょ?
願望と錯覚は同意義だから。